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庄内通校 |
白藤 和成 |
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つまりはこういうことだよ |
勉強することの楽しさ
とか
勉強することの大切さ
なんつーもんは・・・
大人になってから分かるのよ。
勉強なんてもんは本来
”大人のタシナミ”
ってやつなのかもしれんね?
「学ぶ」ことを
生活の中で楽しみとして感じられるのは
大人になった証拠でもあるんだよね。
どんなに早くても大学生・・・くらいからじゃないかなぁ?
だからね、
大人になって初めて分かったような
「勉強の楽しみ」「大切さ」
なんてもんを
さも自分は昔から知っていたかのように
子どもに言って聞かそうなんてのは
実際どうかと思うよ?
子どもにとって勉強とは
「至って厄介なもの」
に決まってるじゃんね。
だから僕らは
その厄介なものをどうやって突破していくかという
考え方なり戦術なりを教えなきゃいかん。
そこを通過してきたからこその・・・
「大人になってから、
あの時厄介としか思ってなかった勉強の
ほんとうの楽しさや大切さが分かる」
というセリフの重みに結びつくんじゃない?
勉強の楽しさなんて
本人がいつか実感すりゃいいんであって
無理して今すぐ伝える必要性などないよ。
子どものうちは
Kick down the walls!(壁をぶちこわせ)
の精神で壁を突破させる勇気を
学ばせることなんじゃないか?
そこんとこをすっ飛ばして
ただ勉強しろ勉強しろと
ギャーギャー言ってるだけじゃ
結果的に何かにつけて逃げ回ることしか覚えん。
その子がいずれ大人になってからも
「どーせあんたなんて勉強しても無駄よ」
「勉強なんてしなくたって世の中生きていけるわ」
なぁんてわが子に平気で言い放つ
どうしようもない親になってしまうと思うよ。
勉強するのはね・・・
いま自分が生まれてきた
この社会の中で
「生きる」
ためなの。
生き延びる知恵なの。
サバイバルなの。
そしてそれは間違いなく
大人の社会では自己責任なの。
そして、やがて生まれてくるであろう
最愛のわが子に
「伝える」
ためでもあるの。
それが親の責任なの。
高校や大学や就職なんていうモンは
その最終目的へ向かうための
ただの通過点でしかない。
手段でしかない。
「腹が減ったからメシを食う」
「青信号だから交差点を渡る」
・・・そりゃそうなんだけど
その本来の目的を忘れるなよ、ってこと。
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2012/06/13 23:08:51 |
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