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庄内通校 |
白藤 和成 |
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一生懸命は恥ずかしい事なの? |
鎌倉時代
源頼朝が作り上げた
幕府と御家人の密接な主従関係。
『ご恩と奉公』
家来は将軍に忠誠を尽くし
「いざ鎌倉」と一致団結して戦う。(奉公)
戦果を挙げれば幕府から
領地を与えられる。(ご恩)
武士は自らの領地を守るために命懸けで戦う。
そこから出来た言葉が
”一所懸命”
一つの所を、命を懸けて守り戦う。
鎌倉時代の武士の相続制度は
親から子に均等に
自分の土地を分け与える方式。
つまり
10人の子どもがいれば
親の土地は十等分されるということ。
さらにその次世代の子どもにも均等配分
さらにその次も…
こうして代々受け継がれるごとに
分け与えられる土地の大きさが小さくなる。
土地が小さくなる事で
武士の生活レベルは困窮を極める。
だから彼ら武士たちは
元が日本に攻めてきた時(←元寇)
必死に戦ったんです。
手柄を立てて
ご恩、つまり領地が欲しかったから。
まさに「一所懸命」「ご恩と奉公」
なのに…
幕府は十分なご恩を分け与えなかった・・・・・
それが鎌倉幕府滅亡の原因。
一所懸命は後に
「一生懸命」
と発音が変わるものの
その意味するところは今もって変わらず。
一生懸命やろうぜ!
一心不乱に尽くしてみようぜ!
報われないこともあるかもしれないけど。
中世の武士達は
貧しかったけど、誇り高かったんだ。
…と、
言い訳タップリの
グダグダな若者を見てると
ついそう思ってしまうのです。
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2009/05/29 22:20:56 |
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