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庄内通校 |
白藤 和成 |
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自分のために勉強する |
「塾長みたいに何でも知ってる人になりたい〜」
みたいなことをたまに言われますが・・・
まあ、、、それが商売なので(笑)
でももちろん忘れていることだってあるわけで
ちゃんとその都度復習したりしてるんですよ(^^)
さび付かせないようにね。
さて、本日最後の更新は
『僕が中学時代にどんな勉強をしていたか』
・・・って話。
・・・で何か秘策があったかと言うと
実は何も特別なことはしてません(^^;)
何しろ小・中の頃の僕は
マンガ大好きで紙切れにイラストばっか描いてたし
音楽も大好きでミニコンポで洋楽ばっか聴いてたし
プラモ大好きでガンプラのジオラマばっか作ってたし
テレビ大好きで新聞のテレビ欄は毎日赤ペンチェックしてたし(笑)
たぶん今時の子供たちよりも遊んでたかも?
だから敢えて言うなら毎日の予習と復習ですかね。
小1の頃から母親が勉強を手伝ってくれてたので
勉強することが当たり前の習慣だけは身についてましたから
机に向かうことは苦になりませんでしたね。
その日に勉強したことは
その日のうちに理解しちゃう。
理解しちゃう・・・っていうのは
多少理屈が曖昧だったとしても
「まあ、そういうもんなんだ」
と割り切って
とにかく詰め込むことを優先する。
ただそれだけ。
『理屈はあとからついてくる』
これが僕の勉強の基本スタンスだった気がします。
イチイチ細かいこと考えてないで
まずは「そういうもんだ!」と頭に放り込んでしまえ!
そのあと、知識や体験が積み重なるにつれ
最初は曖昧だったことも
「あーーー、あの時習ったアレってそういうことだったのか〜」
と思う時が来る!
そう信じてましたし、実際そうでした。
確かにそれって「学習」という意味においては
邪道なのかもしれませんが
目先の「テスト」がそのまま成績に関わるわけだから
それとこれは別モンだっていう発想だったんだね。
だからこそ毎回の授業のノートはしっかり取ってましたね。
だってそれがなきゃ、
「あーーーあの時・・・」
の、”あの時”が思い出せないんだから。
しかもその日のうちにすぐ
『自分専用ノート』を
作り直して、自分オリジナルの参考書を作ってましたよ。
もう日課でしたね。
そのノートに書いていたことは
今でも生徒に指導するときに
思い出して使ったりしてます。
週2回くらい塾にも通ってました。
地域密着の個人経営塾。
指導者はガリガリのおっさん(←塾長)と
ボッチャリ体型の大学生バイトの二人しかいませんでしたが
ひとクラス20人くらい詰め込んで
教えてくれてました。
ボードの差し棒代わりに竹刀使ってましたが・・・(笑)
今時の塾みたいに
「専用テキスト」
なんてもんはありませんでした。
じゃあその塾で僕が何をしていたかと言うと
これまた教科書の予習・復習です。
英語の教科書
数学の教科書
この二つについては塾で予習することが当たり前になってました。
先行的な基礎知識のみ講義を受けて
あとの問題練習は
書店で自分で選んで購入して
塾に持って行って解きまくってました。
つまり・・・僕は
塾に通わされていたのではなく
塾を「活用」していたんです。
今思えばね。
・・・で、そんな僕がどの位の成績だったかというと
だいたい学年1〜4位の中にはいましたv(^ω^)v
5科目合計480点以上取ることが
僕の中での絶対的ノルマでしたから。
(じゃなきゃ塾の先生が竹刀持って追い掛け回してくるので…笑)
「理屈はあとからついてくる」
「塾は通うのじゃなく活用する」
この二つに共通する基本姿勢は
『自分のために勉強する』
ってこと。
誰かがやってくれるのを待つ姿勢じゃなく
誰かがやる前に自分が動く姿勢。
ここんとこは点数を取りにいくテスト勉強において
絶対に大事だと思うよ。
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2010/07/01 22:39:23 |
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